長澤 忠徳Nagasawa Tadanori
役職 | 学長・教授 |
専門分野 | カルチュラル・エンジニアリング、 基礎デザイン学、デザイン情報論 |
役職 | 学長・教授 |
専門分野 | カルチュラル・エンジニアリング、 基礎デザイン学、デザイン情報論 |
経歴
1953年生まれ。武蔵野美術大学卒業後渡英。英国Royal College of Art 修士課程修了。81年帰国後、事務所を開設。87年には、ロンドン、東京を拠点とするデザインシンクタンクを設立、デザインコンサルタントとして数々の幅広いデザイン活動を国内外で展開。また、国際交流を推進し、海外提携大学での講義、ワークショップを行っている。
社会における研究および実践活動
これまでに、民間企業、公設試験研究機関、地方自治体、政府のデザイン顧問や委員等、デザイン振興支援活動を展開する一方、国際デザイン情報ネットワークを構築、1987年、英国に本拠を置く国際デザイン・シンクタンク[Design Analysis International Limited]の設立に参画、ディレクター・日本代表として「リーディング・エッジ展」「イメージ&オブジェクト展」「バルセロナ展」「グレート・ブリティッシュ・デザイン展」「オランダのグッドデザイン展」ほか種々の展覧会、プロジェクトをプロデュースし、ヨーロッパ、特に英国のデザインおよびデザイナーの日本への紹介につとめ、今日につながる英国デザインブームを仕掛けた。また、英国王立芸術(大学院)大学・学術顧問、フランスを代表する国際的高級ブランド産業団体・コルベール委員会・学生デザイン賞オーガナイザー、オランダデザイン研究所・国際顧問のほか、財団法人日本産業デザイン振興会、財団法人国際デザイン交流協会の各種の委員、客員研究員等を歴任。1989年デザインイヤーでは、その準備段階から企画準備委員、調整委員をつとめ、全国十数ヶ所の地域デザインワークショップを統括、また世界デザイン会議(名古屋市で開催)実行委員をつとめた。
産業デザイン振興においては、1987年より通産省グッドデザイン商品選定(現、グッドデザイン賞)審査委員を15年間つとめ、財団法人日本産業デザイン振興会デザインエキスパートとなる。また、広報および産業、文化を統合的に展開する日本のブランディング政策の一環として、経済産業省戦略的デザイン活用研究会委員、デザインビジネスフォーラム設立メンバー、新日本様式ブランド推進懇談会委員、「新日本様式(Japanesque*Modern)」協議会設立発起人(理事会・顧問)等もつとめた。
広報、地域政策分野においては、公益社団法人日本広報協会広報アドバイザー(現、理事)、政府広報評価委員会委員、政府広報アドバイザー、全国広報コンクール審査委員、健康保険組合連合会、まちづくり団体全国協議会等の広報審査委員、
文部省国立大学高専広報審査委員、建設省関東地方建設局、総務庁統計局、総理府、内閣広報室、防衛庁、国税庁、消防庁等、政府や全国町村議会議長会、地方自治体関連機関等の多くの委員会委員、審査員等をつとめたほか、社団法人日本広報協会、市町村アカデミー、各種行政研修機関や地方自治体、各県の町村議会議長会等の行政研修プログラムの講師、富山県ブランドアドバイザー、高知県文化環境アドバイザーのほか、文部科学省、経済産業省、国土交通省、地方自治体、公設試験研究機関の登録技術アドバイザー、委員、顧問、参与、審査員、講師等、多数の公職をつとめる。
また、1996年には、新たな職能の確立を目指す「日本デザイン・コンサルタント協会」の発起人として創設を推進、初代代表幹事をつとめた(現在、監事)。また、1984年よりつとめた富山県イメージディレクターとしての永年の活動により、2000年11月、富山県功労者表彰を受ける。
デザイン・コンサルタントとしての活動は、民間企業、地域/地場産業、地方自治体等の様々なプロジェクトに従事、アドバイザー、コーディネーター、ディレクター等をつとめる一方、「デザイン・ロジスティクス」「デザイナーシップ」「カルチュラル・エンジニアリング」など、デザインに関わる新たな概念の研究と提唱を行う。また、日航財団バーチャルエアポート構想プロジェクト(4カ国国際共同)プロデューサー、公共放送国際賞[イタリア賞]ウエッブ特別賞国際ノミネーターほか、海外のデザイン振興機関や大学、研究機関との多数のプロジェクトを行い、デザインの国際化を推進してきた。同時に、第4回シンガポール国際デザインフォーラム、Mind Over Matter(コペンハーゲン)、Doors of Perception 4(アムステルダム)、Intermedia 3(ブレーメン)、X-media 2(フィレンツェ)、ICACA-2005(サラワク)、Helsinki Design Lab(ヘルシンキ)などの国際会議や、ヨーロッパを中心とする海外機関のセミナー等に招かれ、積極的な社会発言を展開している。
これまでに、民間企業、公設試験研究機関、地方自治体、政府のデザイン顧問や委員等、デザイン振興支援活動を展開する一方、国際デザイン情報ネットワークを構築、1987年、英国に本拠を置く国際デザイン・シンクタンク[Design Analysis International Limited]の設立に参画、ディレクター・日本代表として「リーディング・エッジ展」「イメージ&オブジェクト展」「バルセロナ展」「グレート・ブリティッシュ・デザイン展」「オランダのグッドデザイン展」ほか種々の展覧会、プロジェクトをプロデュースし、ヨーロッパ、特に英国のデザインおよびデザイナーの日本への紹介につとめ、今日につながる英国デザインブームを仕掛けた。また、英国王立芸術(大学院)大学・学術顧問、フランスを代表する国際的高級ブランド産業団体・コルベール委員会・学生デザイン賞オーガナイザー、オランダデザイン研究所・国際顧問のほか、財団法人日本産業デザイン振興会、財団法人国際デザイン交流協会の各種の委員、客員研究員等を歴任。1989年デザインイヤーでは、その準備段階から企画準備委員、調整委員をつとめ、全国十数ヶ所の地域デザインワークショップを統括、また世界デザイン会議(名古屋市で開催)実行委員をつとめた。
産業デザイン振興においては、1987年より通産省グッドデザイン商品選定(現、グッドデザイン賞)審査委員を15年間つとめ、財団法人日本産業デザイン振興会デザインエキスパートとなる。また、広報および産業、文化を統合的に展開する日本のブランディング政策の一環として、経済産業省戦略的デザイン活用研究会委員、デザインビジネスフォーラム設立メンバー、新日本様式ブランド推進懇談会委員、「新日本様式(Japanesque*Modern)」協議会設立発起人(理事会・顧問)等もつとめた。
広報、地域政策分野においては、公益社団法人日本広報協会広報アドバイザー(現、理事)、政府広報評価委員会委員、政府広報アドバイザー、全国広報コンクール審査委員、健康保険組合連合会、まちづくり団体全国協議会等の広報審査委員、文部省国立大学高専広報審査委員、建設省関東地方建設局、総務庁統計局、総理府、内閣広報室、防衛庁、国税庁、消防庁等、政府や全国町村議会議長会、地方自治体関連機関等の多くの委員会委員、審査員等をつとめたほか、社団法人日本広報協会、市町村アカデミー、各種行政研修機関や地方自治体、各県の町村議会議長会等の行政研修プログラムの講師、富山県ブランドアドバイザー、高知県文化環境アドバイザーのほか、文部科学省、経済産業省、国土交通省、地方自治体、公設試験研究機関の登録技術アドバイザー、委員、顧問、参与、審査員、講師等、多数の公職をつとめる。
また、1996年には、新たな職能の確立を目指す「日本デザイン・コンサルタント協会」の発起人として創設を推進、初代代表幹事をつとめた(現在、監事)。また、1984年よりつとめた富山県イメージディレクターとしての永年の活動により、2000年11月、富山県功労者表彰を受ける。
デザイン・コンサルタントとしての活動は、民間企業、地域/地場産業、地方自治体等の様々なプロジェクトに従事、アドバイザー、コーディネーター、ディレクター等をつとめる一方、「デザイン・ロジスティクス」「デザイナーシップ」「カルチュラル・エンジニアリング」など、デザインに関わる新たな概念の研究と提唱を行う。また、日航財団バーチャルエアポート構想プロジェクト(4カ国国際共同)プロデューサー、公共放送国際賞[イタリア賞]ウエッブ特別賞国際ノミネーターほか、海外のデザイン振興機関や大学、研究機関との多数のプロジェクトを行い、デザインの国際化を推進してきた。同時に、第4回シンガポール国際デザインフォーラム、Mind Over Matter(コペンハーゲン)、Doors of Perception 4(アムステルダム)、Intermedia 3(ブレーメン)、X-media 2(フィレンツェ)、ICACA-2005(サラワク)、Helsinki Design Lab(ヘルシンキ)などの国際会議や、ヨーロッパを中心とする海外機関のセミナー等に招かれ、積極的な社会発言を展開している。
教育関連の活動
教育活動は、社会における実践活動をもとに、デザイン基礎技能の実技教育と構想立案およびデザイン方法論に関する教育を主に行なってきている。1986年より多摩美術学園非常勤講師として「色彩研究」を、また90年より武蔵野美術大学基礎デザイン学科で、独自のデザイン情報論による「デザイン論」を講じた。92年、東北芸術工科大学の創立に参画、デザイン工学部情報デザイン学科助教授として翌年着任(96年、同大学院芸術工学研究科創設にも参画)、情報計画学系を立ち上げ、同時に、94年、「課題発見」自体をテーマにした新しいデザイン運動ともいえる「全国高等学校デザイン選手権」(山形県、山形市、東北芸術工科大学主催、文部科学省、経済産業省等後援)を前年のプレ大会より企画準備して立ち上げ、実行委員として推進、1999年からは、審査委員をつとめた(現在、開催委員会名誉顧問)。同選手権大会は、2012年度で第19回を数え、その経緯は「社会は僕らの教室だ」と題して出版されている。さらには、99年、同じく「課題発見」自体をテーマにした福井県の「フクイ・デザインウエーブ」を立ち上げ、5年間、審査委員長をつとめたほか、2000年には、地域社会における青少年教育のビジョンを提起、富山県未来財団「子どもたちの12歳を考える会」の顧問として、「12歳夢フォーラム」を開催するなど、新しい地域社会教育運動を展開した。
1999年、武蔵野美術大学造形学部デザイン情報学科の創設に伴い、専任教授として着任。新しいデザイン教育への具体的な試みとして、デザイン情報論を中心に、理解力としてのデザイン、汎技術としてのデザインを基本的な概念とし、文化をデザイン対象として研究・実践する「カルチュラル・エンジニアリング」をテーマとする授業を一貫して開講してきている。
完成年次を迎えた2002年度には、カリキュラムの改訂を担当、
翌2003年、新カリキュラムへの施行を経て現在に至るが、当初より行ってきた「課題発見」能力および「構想構築」能力と「コラボレーション」能力の開発を重視し、1年次より「何を問題とするか」という主体性を問う「プロジェクト・デザイニング」教育を、情報環境を駆使し、チームティーチングで指導する新しく開発した教育方法で行っている。
2年次以降の教育においても、常に新たな発見を伴う多様な志向性に対するフィードバック履修の可能性をカリキュラム化し、柔軟な分野横断性と複雑系にも似た表現世界の多様性を美術大学の特性を生かして実現する教育に取り組んでいる。高度情報化成熟社会に活躍するクリエーターの大学における能力開発は、まさに全人格的「人間力」開発にほかならず、専門的造形技能教育以前の基礎教育、統合的包容理解能力の陶冶が重要だとの思想に基づいている。
一方で、着任以来、デザイン教育の国際化を推進してきているが、特に2006年度からは、ケルン国際デザインスクール、ロンドン芸術大学セントラル・セントマーチン・カレッジ、實踐大学(台北)と本学デザイン情報学科を連携させた「カルチュラル・ライブラリー・プロジェクト」を推進し、毎年、現地でのワークショップを実施している。
また、語学力重視による本学の公募制推薦入試実施に伴い、2009年度からは、自ら主導して英語による専門演習授業「Interactive Innovation」および「Contextual Studies」を開講し、新しい国際デザイン教育プログラムを開発し実践している。デザイン教育において、造形の実践教育と同等に、異文化への順応性と理解力育成をいかに具体的に教育装置化しうるかが、現在の主要な研究テーマでもある。
芸術工学会会員、日本デザイン機構会員のほか、1998年には、基礎デザイン学会の設立に参加(現在、理事・会員)。
教育活動は、社会における実践活動をもとに、デザイン基礎技能の実技教育と構想立案およびデザイン方法論に関する教育を主に行なってきている。1986年より多摩美術学園非常勤講師として「色彩研究」を、また90年より武蔵野美術大学基礎デザイン学科で、独自のデザイン情報論による「デザイン論」を講じた。92年、東北芸術工科大学の創立に参画、デザイン工学部情報デザイン学科助教授として翌年着任(96年、同大学院芸術工学研究科創設にも参画)、情報計画学系を立ち上げ、同時に、94年、「課題発見」自体をテーマにした新しいデザイン運動ともいえる「全国高等学校デザイン選手権」(山形県、山形市、東北芸術工科大学主催、文部科学省、経済産業省等後援)を前年のプレ大会より企画準備して立ち上げ、実行委員として推進、1999年からは、審査委員をつとめた(現在、開催委員会名誉顧問)。同選手権大会は、2012年度で第19回を数え、その経緯は「社会は僕らの教室だ」と題して出版されている。さらには、99年、同じく「課題発見」自体をテーマにした福井県の「フクイ・デザインウエーブ」を立ち上げ、5年間、審査委員長をつとめたほか、2000年には、地域社会における青少年教育のビジョンを提起、富山県未来財団「子どもたちの12歳を考える会」の顧問として、「12歳夢フォーラム」を開催するなど、新しい地域社会教育運動を展開した。
1999年、武蔵野美術大学造形学部デザイン情報学科の創設に伴い、専任教授として着任。新しいデザイン教育への具体的な試みとして、デザイン情報論を中心に、理解力としてのデザイン、汎技術としてのデザインを基本的な概念とし、文化をデザイン対象として研究・実践する「カルチュラル・エンジニアリング」をテーマとする授業を一貫して開講してきている。
完成年次を迎えた2002年度には、カリキュラムの改訂を担当、翌2003年、新カリキュラムへの施行を経て現在に至るが、当初より行ってきた「課題発見」能力および「構想構築」能力と「コラボレーション」能力の開発を重視し、1年次より「何を問題とするか」という主体性を問う「プロジェクト・デザイニング」教育を、情報環境を駆使し、チームティーチングで指導する新しく開発した教育方法で行っている。
2年次以降の教育においても、常に新たな発見を伴う多様な志向性に対するフィードバック履修の可能性をカリキュラム化し、柔軟な分野横断性と複雑系にも似た表現世界の多様性を美術大学の特性を生かして実現する教育に取り組んでいる。高度情報化成熟社会に活躍するクリエーターの大学における能力開発は、まさに全人格的「人間力」開発にほかならず、専門的造形技能教育以前の基礎教育、統合的包容理解能力の陶冶が重要だとの思想に基づいている。
一方で、着任以来、デザイン教育の国際化を推進してきているが、特に2006年度からは、ケルン国際デザインスクール、ロンドン芸術大学セントラル・セントマーチン・カレッジ、實踐大学(台北)と本学デザイン情報学科を連携させた「カルチュラル・ライブラリー・プロジェクト」を推進し、毎年、現地でのワークショップを実施している。
また、語学力重視による本学の公募制推薦入試実施に伴い、2009年度からは、自ら主導して英語による専門演習授業「Interactive Innovation」および「Contextual Studies」を開講し、新しい国際デザイン教育プログラムを開発し実践している。デザイン教育において、造形の実践教育と同等に、異文化への順応性と理解力育成をいかに具体的に教育装置化しうるかが、現在の主要な研究テーマでもある。
芸術工学会会員、日本デザイン機構会員のほか、1998年には、基礎デザイン学会の設立に参加(現在、理事・会員)。
主な著書
『インタンジブル・イラ』サイマル出版会、1988年(単著)
『デザインの世界を目ざす君へ』ダヴィッド社、1989年(共著)
『デザイン教育大事典』鳳山社、1989年(共著)
『インダストリアルデザイン事典』鹿島出版会、1990年(共著)
『現代デザイン事典』平凡社、1990-2013年(共著)
『デザインコンサルタント』JDCA出版局、2001年
『広報紙面デザイン技法講座』日本広報協会、2002年(単著)
『カルチュラル・エンジニアリング研究Ⅰ』
武蔵野美術大学共同研究報告書、2002年(共著)
『デザイン事典』朝倉書店、2003年(共著)
『デザイン/アート留学のすすめ2007』
BNN新社、2006年(監修+共著)
『デザインの現場がデザイン史学に期待するもの』
デザイン史学研究会誌 第6号所収、2008年
『脈動する本—杉浦康平デザインの手法と哲学—』
武蔵野美術大学美術館・図書館、2010年(共著)
『インタラクション・デザイン—RCAデザイン教育の現在—』
新宿書房、2012年(共著)
『Cultural Library Project Report 2006-2011』
武蔵野美術大学デザイン情報学科研究室、2012年(共著)
その他、専門雑誌寄稿、デザイン技術の技法書など多数。