現在の位置にいる私たちは、廃墟を観るとき、自然と過去を想察してしまうだろう。眼に映る痕跡を通して仮の根拠を立てる。そして、そこから想定する。想察を元に過去の現役の姿を想定する。これが可能であるならば、その逆も可能であるはずである。つまり、現在の建築を観るとき、そこか未来を想察し、想察を元に未来の廃墟の姿を想定してもおかしくないはずである。そうしたならば、私たちの観ている廃墟は、ある意味、未来の廃墟の姿の一部であるとも考えられるのではないだろうか。廃墟を観ることは、過去と未来を観ることなのだ。
4年間、セブンイレブンが僕の冷蔵庫でした。